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キャスト&スタッフ

マルゲリータ・ブイ -マルゲリータ

1962年1月15日生まれ、ローマ出身。イタリアを代表する女優。本作でダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀主演女優賞を受賞、通算7度目となった。

主な出演作に『殺意のサン・マルコ駅』(90)『心のおもむくままに』(95)『もうひとつの世界』(98未)『イタリア的、恋愛マニュアル』(05)『題名のない子守唄』(06)『ローマ法王の休日』(11)『ローマの教室で~我らの佳き日々』(12)『はじまりは5つ星ホテルから』(13)がある。

ジョン・タトゥーロ -バリー・ハギンズ

1957年2月28日生まれ。アメリカ、ニューヨーク市ブルックリン出身。ニューヨーク州立大学とイェール・ドラマ・スクールで修士号を得てデビュー。84年に「セールスマンの死」でブロードウェイに初出演。その後85年には幾つかの演劇賞を受賞して活躍。映画では『ドゥ・ザ・ライト・シング』以降、スパイク・リーに常連。更に『ミラーズ・クロッシング』(90)以降はコーエン兄弟の常連としても知られるようになり、91年の『バートン・フィンク』ではカンヌ国際映画祭男優賞を受賞。『天井桟敷のみだらな人々』(98)など、監督業にも挑戦して多彩な才能を発揮している。

85年にキャサリン・ボロウィッツと結婚。その他の主な出演作品は『クイズ・ショウ』(94)『クロッカーズ』(95)『ガール6』『グレイス・オブ・マイ・ハート』(96)『ビッグ・リボウスキ』(98)『N.Y.式ハッピー・セラピー』(03)『シークレット・ウィンドウ』(04)『グッド・シェパード』(06)『トランスフォーマー』(07)『トランスフォーマー リベンジ』(09)『サブウェイ123 激突』(09)『カーズ2』(11、声の出演)、自ら監督を務めた『ジゴロ・イン・ニューヨーク』(13)『エクソダス:神の王』(14)。監督としては、「マック/約束の大地」(92未)でカンヌ映画祭でカメラ・ドールを受賞している。

ジュリア・ラッツァリーニ -アーダ

本作で、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞2015の最優秀助演女優賞に選ばれている。

主な出演作に“DESTINO”(51)“NON HO PAURA DI VIVERE”(52)、『PRIGIONIERI DELLE TENEBRE(52)、“HO FATTO SPLASH”(81)“GRAZIE DI TUTTO”(98)、“CAPITAN BASILICO“(08)、“IL PICCOLO”(09)、マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督の『フォンターナ広場 イタリアの陰謀“(12)がある。

ナンニ・モレッティ -ジョヴァンニ/監督/脚本/制作

1953年8月19日生まれ。40歳にして世界三大映画祭すべてで賞を受賞した、イタリアを代表する監督である。監督作品では脚本も書き、主演をすることもある。癖のあるユーモラスな作風で、世界中にファンを持つ。

北イタリアのトレンティーノ=アルト・アディジェ州ブルーニコに、教師の両親の下に生まれる。父ルイジは俳優としても彼の作品に6度登場している。学生時代は映画と水球に熱中し、後に水球を舞台にした映画『赤いシュート』(89)を製作するきっかけとなる。これまでのほとんどをローマで過ごしている。20歳で短編映画を撮り始め、76年に最初の長編映画“Io sono un autarchico”を監督。77年には俳優として出演した『父 パードレ・パドローネ』がパルム・ドールを受賞。81年の『監督ミケーレの黄金の夢』でヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞受賞。85年には『ジュリオの当惑(とまどい)』ではベルリン国際映画祭、審査員グランプリを受賞。93年の『親愛なる日記』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞し、三大映画祭を制覇。

2001年の『息子の部屋』でパルム・ドールを受賞。この2作はカイエ・デュ・シネマ誌の年間ベスト1にも選ばれている。2007年にはカンヌ国際映画祭にゆかりの深い監督たちのオムニバス作品『それぞれのシネマ』に参加。2011年には『ローマ法王の休日』がパルム・ドールにノミネート、2012年には審査委員長を務めるなど、カンヌ国際映画祭と縁が深い。

脚本: フランチェスコ・ピッコロ/ ヴァリア・サンテッラ

編集: クレリオ・ベネヴェント

美術: パオラ・ビザーリ

撮影: アルナルド・カティナーリ

衣装: ヴァレンティーナ・タヴィアーニ

音響: アレッサンドロ・ザノン

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