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監督インタビュー

『母よ、』でマルゲリータ・ブイが演じた役は、あなたの分身ですか?

この映画で主役を自分で演じることは最初から考えていませんでした。そういうことはかなり前にやめました。そうしてよかったと思っています。以前は喜んで演じていましたが、今はもう次から次へと映画で役を作り上げたいという固定観念に駆られることはありません。ずっと考えていたのは、この役は女性の監督という設定にして、演じてもらうならマルゲリータ・ブイがいいだろうということでした。理由はとても単純で、私が主役を演じるよりマルゲリータ・ブイが主役のほうがはるかにいい映画になるからです。彼女は私よりもはるかに優れた役者ですからね。マルゲリータには撮影でかなりの負担をかけてしまいました。撮影の70日間のうち、彼女が現場を離れたのは1日だけでした。彼女がいなかった日のシーンは結局私がカットしてしまいましたしね。

それでも、映画の中であちこちに、あなたがいるという印象がありますが……

ローマのカプラニケッタ映画館の前で、私がマルゲリータの兄を演じているシーンがあります。その中で、マルゲリータに彼女の中にある心理的な決まり事のうち少なくとも1つを打ち破ってみるように言っているのですが、まるで自分に言っているかのようでした。私はずっと、時がたてば心の奥から自分が引き出されることに慣れるだろうと考えていました。しかし、それどころか、私がこの道を進めば進むほど、倦怠感が生じてきます。映画は個人的な告白ではないのです。ショットやフレーム、選択肢、演技があって、実際の人生とは違います。

ご自分の作品をどう定義なさいますか? 自伝でしょうか。それともオートフィクションですか?

オートフィクションという用語はよく分かりません。自伝については、すべての物語はいくらか自伝的です。『ローマ法王の休日』の中で役を演じながら法王について語っていた時、私は自分自身について話していました。ミシェル・ピッコリ演じる法王は、自分は法王が向いていないと感じていましたが、私が『夫婦の危機』でシルヴィオ・オルランドの演技と個人的な物語を描いた時も同じ心境でした。どれくらい自伝的か測りたいと願うことより重要なのは、一つ一つの物語に関して個人的なアプローチをすることです。

ジョン・タトゥーロを起用した理由は?

私よりもはるかに撮影経験の少ない監督たちは、国際的な俳優に近づくのにためらいがありませんが、私はそうではありません。でも、私は彼が大好きで、彼の演技は自然主義的ではないように思えたので、出演を依頼しました。それに、私たちは既に面識があって、彼はイタリアと関係があったからでもあります。彼は「パッショーネ」というナポリ音楽に関する美しいドキュメンタリーを作りました。ジョンは私の映画を何本か見てくれていたので、非常に安心しました。私が何者で、何を求めていて、私の映画表現がどんなものか説明するのは、私には難しかっただろうと思います。彼は少しイタリア語が分かっていて話せます。それに映画監督でもあります。監督でもある俳優と仕事ができてよかったです。簡単にお互いを理解することができました。

『母よ、』の脚本を考え始めたのはいつですか?

私は大抵、かなり時間を置いてから次の映画に取りかかります。前の映画に向けていた精神や感情を忘れる必要があるからです。充電期間が必要なのです。でも今回は、『ローマ法王の休日』が公開されるとすぐに、次の映画について考え始めました。映画の中で描かれていることがちょうど私の人生でも起こった時、執筆に入りました。それはおそらく物語に影響を与えたと思います。

時折夢と現実が混じり合うような様々な物語形式をどうやって思いついたのですか?

学問的でない形で物語を伝え、基本を満たすだけにとどまらない物語にするのは重要です。つまり、ルールに精通していながらも、ルールがなくても成り立つ物語です。しかし、自分自身の中や物語の過程で真実のように思えるかも重要です。表現したい題材との関係が単調で平凡なものであってはいけません。

私が気に入ったアイデアは、観客があるシーンを見て、それが記憶なのか、夢なのか、それとも現実なのか、すぐには分からないようになっているところです。マルゲリータの考えや、母親に関する不安な記憶、ままならない気持ちといったすべてがマルゲリータのキャラクターの中でほぼ同時に共存しているのです。物語の時間はマルゲリータの様々な心の状態に対応していて、彼女の心の中ではすべてが同じくらい緊迫しながら共存しています。私は、仕事や母親、娘に関するままならない気持ちを女性のキャラクターの視点から描きたかったのです。

キアラ・ヴァレリオ、ガイア・マンツィーニ、ヴァリア・サンテッラという3人の女性と一緒に脚本を書いたのは、それが理由ですか?

たぶんそうですが、前もって計画して手配したわけではありません。私はガイア・マンツィーニとキアラ・ヴァレリオをほとんど知りませんでした。2人に会ったのは本を読んでいた頃です。私たちはそれぞれサンドロ・ヴェロネージの本からの抜粋を読むように頼まれました。そのすぐあとに、私はこのテーマに取り組み始めることを決めて、2人を呼びました。一方のヴァリアは私の友人の1人で、私たちは非常に長い間一緒に仕事をしてきました。

マルゲリータが作っていた映画はどんなものになると考えていたのですか?

私がカットしたシーンがあります。マルゲリータが娘に「自分の映画に自分を出すことは決してない」と言い、娘が「映画で自分のことを必ずしも語る必要はないわ」と応え、マルゲリータが「必要はないけど、もっと個人的な映画が作りたいの」と返す場面です。このシーンでどんな映画か言っています。私は、人生と様々な問題に打ちのめされたマルゲリータに、個人的な映画よりもっと政治的な映画を作らせたいと思っていました。

記者会見のシーンでは、記者が彼女に「我々の社会にとってこのような微妙な時期に、あなたの映画はこの国の良心に訴えることができると思いますか?」と尋ねます。マルゲリータは「現在、大衆自身は別の種類の確約を求めていて…」と型どおりの答えをし始めます。しかし、彼女の声はゆっくりと小さくなっていき、彼女が本当に考えていることが聞こえてきます。「もちろん、そうよ。それが映画の役目よ。でもなぜ私は何年も同じものを繰り返し作ってきているの? みんな私が現実を心得ていると思っているけど、私にはもう何も分からないわ」とね。

しっかりとした作りで主張のはっきりしている彼女の映画と、彼女の心理状態をはっきりと対比させたいと思っていました。彼女が経験していることや自分自身をどうとらえているかといった心の状態とは正反対にね。きっちりと構成された彼女の映画と彼女が経験している非常に微妙な瞬間を矛盾させたかったのです。

“喪に服す”というテーマにどう対処しましたか?

『息子の部屋』では、私は恐怖を追い払っていました。この映画で触れているのは多くの人たちが経験することです。母親の死は人生における重要な通過儀礼です。観客に一切苦痛を与えることなく、そのテーマを描きたいと思っていました。映画を作る時は自分がやっていることに没頭しています。セリフを練り直し、演出や編集に取り組んでいると、結果として扱っているテーマの衝撃は薄れます。非常に強い気持ちの時であっても、私は監督がその影響を完全に受けることはないと思いがちです。

他の映画と比べて、この映画のように、撮影して、じっくり考えて物語を描くのはより難しいですか?

いいえ、そうは思いません。大変だったのは脚本を書いている途中のほんの一瞬だけでした。母が病気の最中に自分がつけていた日記を読み返すことを決めた時です。私がそうしたのは、おそらく私の日記の要素を交えることでセリフに重みが増して、マルゲリータと母親とのシーンの真実味を増すことができると思ったからです。しかし実際、日記を読み返すのはつらかったです。

『母よ、』に備えて、ほかに読んだり、見たりしたものは?

熱心に作業している期間や映画撮影の間、私は多くのものを蓄積します。痛み、喪失もしくは死というテーマの本や映画を見直すべきだと思っていましたが、『母よ、』の撮影が終わった時に、その時間がなかったことに気づきました。そして、もうそうする必要がないと思い、すごくほっとしました。ウディ・アレンの『私の中のもうひとりの私』をもう一度見ましたが、机の上にあったミヒャエル・ハネケの『愛、アムール』は見ませんでした。特に、ロラン・バルトは読みませんでした。母の死後、親しい女性から『喪の日記』を勧められました。バルトが彼の母の死の直後書いたものです。彼女はその本が自分の助けになったと言っていました。私は適当なページを開いて2行読みましたが、心が痛くなり、本を閉じました。映画撮影の最後にその本を机から取って棚に置きました。幸いにも、もう悲しみを掘り下げる必要がなかったからです。

あなたのお母様は教師でしたね

母は33年間ローマのヴィスコンティ高校で教えていました。中学校で文学を教え、それから最後の数年間は高校でギリシャ語とラテン語を担当していました。毎週少なくとも1人は母に教わったと言ってくる人がいます。時には、大学教授(ギリシャの碑文研究の教授)だった父の教え子だと言う人もいます。母の教え子の多くが、卒業して何年もあとに母に会いに来ていました。母とその教え子のような関係の教師は私にはいません。少しつらく苦しいことを打ち明けます。母の死後、母の教え子が話してくれたことを通して、私は人としての母について非常に重要な何かを完全に忘れていたことに気づきました。しかし、母の教え子たちはそれを覚えていて私に共有してくれた気がします。

この映画撮影で学んだことは?

この質問には明確に答えることができます。初めての映画撮影中に感じたのと全く同じことを感じています。同じ不安を抱え、同じ混乱に陥り、完全に自信を喪失しているのも同じです。全員がこうなるわけではないと思います。私が信じているのは、経験がある多くの人にとっては、専門知識やある種の達観が重要であるということです。一方、私は非常にはっきりとした印象を持っていて、まるで初めての映画を撮っているようだと常に感じています。今回は、さらに不安でした。おそらくこれが私の最も個人的な映画だという人がいたせいでしょうが、よく分かりません。

しかし、これまでに何かを学んできたのは確かです。役者への態度が良くなり、進んで彼らの味方をするようになりました。私は俳優を支持します。ほかに学んだことは……確かに、あっという間に学んだこともあります。映画は公開されると、自分の手を離れていきます。大衆は映画を見て、それぞれに解釈します。自分では完全に忘れていたことを観客が暴露したり、逆にその部分に光が当てられることもあります…

「キャラクターの隣にいる役者が見たい」。マルゲリータが役者に向かって何度も繰り返し言うセリフですね。

私がいつも言っていることです。役者が理解しているかは分かりませんが、最終的に、私の頭の中のイメージどおりのものを彼らから得ることができています。

このインタビューは、2015年4月にナンニ・モレッティがイタリアの報道陣から受けた様々なインタビューで答えた質問をまとめたものです。

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